【来訪】女40 三笠絹子さん

「近いから歩いて来ました」明るい声で書類提出のため来局された女40回生 学年幹事 三笠さん。
娘さん同窓、お孫さん三人は幼稚園へ通われた三代筑女の方です。


「入学したけど制服は無かったのよ」
 昭和194月、筑紫高等女学校へ入学。クラスはい、ろ、は、にの4組ありました。私はろ組。校章はあったけど制服は無くそれなりのセーラー服にもんぺ姿で登校。入学後 授業も少しある一方、戦時中のため防空演習や家庭科で包帯や三角巾の巻き方などを教わり、体育では長刀(なぎなた)でエイヤーと練習。現在の国体通り、舞鶴公園南側に学校の畑があり、素足で肥の桶をピッチンチャップンと中が跳ねてはキャーキャー騒ぎながら畑へ行き、野菜の世話もしました。図書館の書物を風呂敷に包み七隈まで疎開させたことも。また勤労奉仕で板付飛行場の土砂の運搬や稲刈り奉仕で二泊三日、現在の春日市小倉へ出征されたお宅へ3人づつ級友と行ったことも。 帰りにはお土産にさつまいもを頂いたことが思い出です。

「昭和20年2年生では学徒動員に…」
 戦況も進み校舎の一部は軍が接収したので学校裏手の西光寺で授業がありました。授業と言っても本読んだり何をしてたんでしょうね…そんな中 6/19福岡大空襲。しばらくは授業があったり無かったり女学校2年生は学徒動員で現在の古賀市の軍需工場へ博多駅から汽車に乗り通ったこの頃。そこでは旋盤で砲弾の穴を開ける作業。そして815日は家で正座してラジオからの玉音放送を聞き終戦を迎えました。本校は戦災に遭わず無事で本当に良かった。9月に入り学校再開。私は知らずに数日遅れて登校したところ、無事だったことを皆が喜んでくれ嬉しかった。食料難となり雑炊ばかり食べている時代、お弁当持参は叶わないので午前中で下校していました。

「3年生、4年生には何人もの転入生が」
 外地からの引揚げの方たちが転入してきて人数が増えたこの頃。すぐに仲良しになりお友達も増えました。当時のお友達と今でも交流があります。

「卒業式での校長先生のお言葉が…」
昭和23年3月、筑紫高等女学校として最後の卒業式となりました。校長先生は「今まで多くの卒業生を送り出しましたが、今年の卒業生だけは学校で勉強することができなかったことを申し訳なく思います」とのご挨拶がとても印象的でした。

「戦争中でも友達に会い、話すことが楽しみだった」
この後 スイミングへ行く途中で歩いて立ち寄られ、お話をしていただきました。旧制から新制へ移行のお話に加え、今の中高生では考えられない戦時中の学校生活。それでも楽しみは友達と他愛もない会話だったり、一緒に何かしたこと…学校での思い出、大事ですね。またの貴重なお話を待っています。